アジアンセミフォーマルパーティー2、他。

今回はちゃんとした日記の形でお送りします。色もちょっと変わったことだし(気分転換、ってヤツね)、頑張って行こうか。気合入れて行こうか。ほっほっほっ(気合入れのつもり)。
三月十七日から三日間、怒涛のように時が過ぎて行った。長いようで短い、短いようで長い週末でした。今回の駄文を読み終わった人間はこの感覚を解かってくれるでしょう。この回は長いので、数回に分けて読むことをお勧めします(笑)。

  • まず・・・17日・・・
    金曜日、つまり17日にオレと大和はまた古着屋さんに行って来た。今回はオレは日本で買ったスーツを着るつもりだったため、それに合うシャツとかを探すつもりでいました。
    やっぱり前回と同じく完全に古着屋の魔力に取り付かれ、ちょっとルンルン気分で大和の寮部屋に帰ることになるのだが、結局大和はまたスーツを買い、オレはシャツを二枚買って6:00pmを待つ。
    六時になると、ツヨポン(またの名をBrian:これから赤マル急上昇でしょう)の家に行って、彼のメチャメチャ旨いグリーンカレーを食べてしばらくペチャクチャと喋る。グリーンカレーは北米の「St. Patrick’s Day」という祝日にちなんで食べました。この日はアイルランドの祝日なので、なにもかもが緑になる日なのだ。緑の服を来て、緑のビールをのみ(もちろん着色)、緑を限りなく意識する。「St.」というからには、当然クリスチャン・ホリデイなんだろうけれど、今思うとなんで仏教(または神道)のオレ等が祝っていたのだろう。まぁいいや。美味しいグリーンカレーを食べられたので。
    このまま話を終わらせると、結構普通の日じゃん、という印象が残るので、最後にひとつ付け加えよう。ツヨポンの家を出たのが次の日の朝の5時。おー・まい・ごっど・・・自分等でもなんでそうなったかは謎。みんなとてもお話が好きなメンツが揃ったのが間違いだったのかなぁ・・・かなりやばい状況だったはずなんだけど。でもこれで話が終わらないところがオレの駄文ページの見どころなのよん。んふ。(謎)
    実は次の日にみんなでバスケをする予定だったのである。

  • 次・・・18日・・・
    なんと9:00エイ・エムからバスケ。土曜日にこんなに早く起きたのもとても久しぶりでした。朝のすがすがしい空気を肺にいっぱい吸って、ちょっと咳払いをして、いざバスケに挑むことになりました。
    流石に土曜日の朝。体育館には誰もおらん。着替えをチョチョってして、簡単なストレッチを済ましてから、体育館に入ってみたら、オレより元気なバカコンビがいましたイマシタ。おさむっちとやまとである。三人でバスケの練習をするつもりが、結局は三人とも自分の好き勝手やるだけで終わってしまった。終いには隣のコートにいたサッカーをやっていた人達と混じって4ON4サッカーをやりました。バスケの練習がなぜサッカーになったのか。また謎に包まれたまま、体育館を去ることになる。久しぶりの激しい運動にちょっと次の日の筋肉痛を気にしながら・・・。
    他のヤツ等はこの後(お昼時間、12:00)、各々に好きなことをしたのだろうけれど、オレはすぐに物理の家庭教師をやらなくてはいけなかったので、ちょっと疲れた顔をしたまま三時間(!)の物理を頭の中でかけ巡らす。ちょっと研究の残りを終わらしてから、五時くらいに家に帰ることになる。二時間くらい寝るつもりだったのだが、結局一時間くらいしか寝られなかった。こんなに色々した日なんだからいい加減寝ろよ、って言われそうだけど、この日だけは頑張って起きていなければいけなかったのだ。第二回アジアンセミフォーマルパーティーの為に。
    どんなに疲れてもこれには行かなくてはいけないのだ。まるで人生の最終使命のようなつもりで眠気と疲労を気合でブッ飛ばさなくてはいけないのだ。(ちょっと大げさ?)
    7時くらいにみんなが家に来て、わいわい騒ぎながらウオームアップ。その模様はちょっと公開できないなぁ。
    とにかくみんなで盛り上がって、危うくパーティー自体ミスるところだったんだけど、そこにJohnnyからの魔の電話。「あのさぁ、いつ来るの?今こっちはかなりシケてるんだよ」っていう感じの電話を受けて、初めて何の為のウオーミングアップだったか気づき、いざみんなでパーティー会場に向かうことになりました。実際オレ等が着いたのは10時半か11時くらいだったんだけど、やっぱりかなりシケていました。ダンスフロアには十人くらいぱらぱらと踊っていた(パラパラダンスじゃないよ)。
    そこに恥知らず組参上。メチャクチャダンサー達見参。おさむっちとかツヨポン、たけことかJohnnyはみんな人の目を少しは気にするので、普通に踊っていました。
    しかし、ダンスに関しては恥知らずコンビのオレとやまとは(やまとは普段の日常的な行動には常識がある・・・そこがオレとの違い)、速攻で真ン中辺りでダンシング魂を爆発させる。
    だーれもいない場所でガンガン踊るスーツ姿の三人:やまと、ツヨポン、オレ(オレ一人だったかもしれない・・・よく
    覚えてない)。かなり異様な光景だったに違いない。心なしかダンスフロアに人が集まって来るのを感じたけれど。「こんなヤツが踊ってるんだから注目はオレには来ないな、それだったら恥ずかしくない」と思ってみんな踊り始めたのだろうか・・・。それはいまだに謎。
    オレ等の中では「オレ達が来てからここは盛り上がった」という勘違いをして、そのまま踊り狂うのであった。
    結局その夜は自分の体力の限界をお構いなしに無視して、ガンガン踊り、ガンガン水を飲み(前回と同じオバちゃんがいた)、ガンガンいくぜ、ブッぱなせ、って感じ。
    夜中の三時頃に家にて退散をし、次の日の筋肉痛を待つばかりとなった。

  • 最後に・・・19日・・・
    十九日、なんかまぶしいな、と思ったら、昼間の一時の太陽がオレの部屋の窓を通過してオレの顔にあたっていた。この日も一応なんらかの行動を起こさなきゃいけない日だったので、ゆっくりとベッドから転げ落ちた後、冬眠から醒めた
    熊のようにもそもそと部屋からリビングに移動する。それからしばらくボーッとして、体中が筋肉痛により思うように動かない事を確認して、昼飯(この場合は朝飯かなぁ・・・)を食って物理学部の事務室へと面倒臭く移動。そこでもたいした事はせず、ただただ6時を待つのみだった(あら、また6時だ)。
    この日はたけこの誕生日で、みんなで祝う形になったのだが、とても喜んでくれたので(喜んでくれているように見えたので)嬉しかったのだ。
    まず昨日のセミで12時になった瞬間、「ハッピーバースデイ」を合唱。
    更に帰りのバスでアカの他人を加えて合唱。
    今日もレストランで乾杯するときに合唱。
    そしてその後立ち寄った喫茶店でも花束を渡して合唱。
    最後の方は心なしか困り果てていた表情のたけこ・・・・「ウザイんだよ、てめぇー等」なんて思っていたのかもしれない。
    やっぱり大人数でワイワイ騒ぐのはいいけれど、流石に三日の連チャンだとキツイ。
    どうしても体力の限界、というものを思い知らされてしまう。もうちょっと昔は体力があったのかもしれない。
    お前それだけ騒いでおいて何を言ってるんだ、という意見もあるが。
    家に帰って、今日も良い意味で忙しい一日だった、と思い、布団に潜ろうとした瞬間、激しい痛みが右肩と内股を襲う。
    右肩は多分バスケ、内股はサッカーの影響から来るものだったのでしょう。

  • そんな訳でこの週末は終演を迎えるのであった。
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