最近iPhoneで写真を撮る練習をしており、多くの写真をスマートフォンで撮っています。この手軽さと共に、カメラの販売台数の現象を肌で感じる事ができました。スマートフォンで撮ればそりゃ普通の人はこちらの方が楽だな、と。写真を撮るプロセスだけではなく、そこからのコンピュータ処理、及びデータのバックアップの容易さ、更には共有の手軽さ、そのどれを撮っても今までのカメラに勝っています。とは言うものの、今までの「本物のカメラ」と思われるものが引き続き存在する可能性についてはかなり楽観的です。
写真という媒体は、変化しているのです。かつての銀塩写真や、その前のガラス板にネガを作り始めた頃から、刻々と変わっているのです。一眼レフカメラがレンジファインダーの代わりにならなかったように、少しづづ機材と媒体が変化しているのです。
私自身、多くの媒体と機材を使って来ました。120ブローニーフィルム、135判のネガ・ポジ・モノクロなど。APS-Cのフィルムや更に小さいフィルムも試しましたし、4×5や8×10も手を出しています。デジタルも2/3インチから1インチ、フォーサーズ、APS-C、ライカ判と色々使っています。そして今はスマートフォンを使っています。様々な写真の撮り方の一つと捉えるようにしています。
現在を生きているからには、現在の機材を使う他ありません。未来の機材は使えませんが、過去の機材にも廃れたりするので使えなくなるのが世の中の常です。カルティエ=ブレッソンは真剣に仕事のために35mmの「極小フォーマット」カメラをかなり早い段階で採用したことでしたが、逆に今の時代にライカとトライXでフォトジャーナリスティックスタイルのアート写真を撮るに値しないと思います。今の時代にブレッソンが写真を撮っていたら、フォーサーズを使っていたのではないかと思います。
最終的には、ニコンやライカや他の会社が生き残るかどうかは問題ではありません。また、美しく作られた多群構成の大口径レンズが2045年にまだ販売されているかどうかも問題ではありません。もしくはこれからのカメラが1970年代のフィルム一眼レフカメラに似ていることもあり得るのです。売り上げが減少したり、成長したりするかどうかは我々には関係ありません。
写真は変化し、写真の撮り方も変化し、写真家は最新のものを使って創造する新しい方法を見つけます。または、古いもの、自分で作ったもの、自分のために他の誰かに作ってもらったものを使用します。とりあえずはどんな方法でも、写真を撮る行為は続けられるのです。
そんなわけで、iPhone写真の整理に追われながら少し考えてしまいました。