写真の解像度は論争の余地があるのが一般的な意見です。写真のシャープさはひとつの指標ですから、当然と言えば当然です。
とは言え、本当に解像度やシャープネスを優先すればいいのでしょうか。
技術的には画像のシャープさは目標であるので、センサーの解像度を上げたり、レンズの解像度を上げたり、5軸手ぶれ補正を搭載したり、色々と技術的な手段はあります。ただし、写真を撮る行為としては、解像度の高さはあくまでもたくさんある選択肢のひとつに過ぎないように思うのです。
ピクトリアリズムの観点からは、むしろシャープの逆を目標としていた表現手法が流行ったくらいです。ピクトリアリズムとは絵画主義とも言い、1800年代末期に一世を風靡した写真の表現手法です。記録としての写真に意義を持った芸術家が写真を絵画として追求したものです。しかし後に写真の本来の撮り方ではないと非難もされたそうです。1930-40年代に入るとシャープさを追求した写真が多くなります。いずれにしても今だから言えることです。
今の時代の写真も、30-40年後にどのように評価されるのでしょうか。特にシャープさと、そこからボケる写真を追求した時代、と評価されるのでしょうか。Fナンバーの明るいレンズでピント面が非常にシャープで、そこから大きくボケていく写真が多くの人達に好まれた、みたいな。
その時にはどう思われるのでしょうか。スマートフォンと呼ばれるデバイスで見たり、L判で印刷する程度ではオーバースペックな解像度を追求していた事を笑われるのでしょうか。27インチのRetinaモニターの最高解像度は1500万画素なのに、1600~2400万画素が多いですね。iPad Air2などのRetinaディスプレイモデルに至っては300万画素ですがね。
シャープに写真を撮るのはテクニックのひとつです。そして最近は出来上がった写真やそれを見る人のための解像度よりも自己満足の解像度を追求している人が多いのではないかと思います。その中で写真を見てくれる人が良いと思うかどうかは撮り手の表現方法です。その表現方法に解像度はひとつのパラメータでしかありません。高いテクニックが良い時もあれば、高いテクニックが適さない時もあると思います。この例で言えば写真によっては解像度が高い時に良い効果を生む時もあれば、シャープであることで台無しになる場合もあるわけです。
繰り返しになりますが、写真を撮る行為としては解像度の高さはあくまでもたくさんある選択肢のひとつに過ぎないように思うのです。