イマドキのレンズは全て性能が高いですよね。明るいFナンバーと滑らかなボケ、開放から高い性能で絞りで性能が変わらず、周辺まで高い解像度。これは結果的に暗所でのレンズになってしまいます。
また、こういったFナンバーが明るい現代のレンズは周辺までの性能を出し、開放からの性能を高くするためにレンズ枚数が多くなってしまいます。
フィルム時代や最近までのデジタルカメラは、最大でもISO1600相当まで感度がなく、Fナンバーの明るいレンズが重宝された時代がありました。ISOが高いとノイズが乗り、手ブレを起こさないためにFナンバーが明るくなくては写真が撮れません。現代はISOは25600とかまで可能なので明るいレンズはそこまで必要無くなりました。
現代のレンズの基準は上記ある「明るいFナンバーながらも、開放から高い性能で、周辺まで高い解像度と滑らかなボケ」で、光学設計もこれを目指しています。こういうレンズばかり集めていると、どこか似通った写真が多くなるのではないかと感じます。像面湾曲もよく補正されていて、性能は高いのでしょうが、例えばポートレート写真の場合は周辺の解像度はそれ程必要ないのと、意外と明るいレンズは必要なかったりします。
全てのレンズを試したわけではないので推測に過ぎませんが、デジタル時代にフィルム写真を始める人が写真に味を感じたり、デジタル写真と比べて違いを感じるのはデジタルとフィルムの差ではなく、昔のレンズと現代のレンズの差もあるかもしれません。
昔のレンズは周辺の解像度よりもコーティングの性能からレンズ枚数を減らす必要がありました。レンズの枚数が多いと、当時のコーティングでも透過率が下がるので抑えられていました。シングルコートやコート無しのレンズだと尚更です。レンズ枚数の限界から、非球面のレンズも少なかったり高価なので収差の低減は控えめなFナンバーで解決していました。
結果として、こういったレンズは周辺の解像度こそ上がりませんが、豊富な階調があり、画像の平坦さが目立ちません。こういうレンズはデジタルでも同じような描写になると思います。
田村彰英氏の言葉で、現代のレンズは無味無臭の蒸留水、昔のレンズはミネラルを多く含んだ湧き水のようなものと評していたのがありました。どちらかが良い悪いではなく、どちらも状況においての使いようです。蒸留水は無駄なものがなく「性能」が高いですがどこか面白みがないとも言え、湧き水は特徴的な味ですがミネラルの種類によっては苦手な方とかがいるかもしれません。しかし、いわゆる硬い水は紅茶にいいですし、日本の緑茶に合う水があれば出汁を取るのに良い水があったりします。現代のレンズと昔の設計のレンズも同じような事が言えるのではないかと思います。
それならば、過去と現代の数あるレンズから、自分の用途にあった描写のレンズを選んで楽しむことができます。レンズは使ってなんぼですが、その特性をわかって使うととても楽しいです。