はっきり言おう。オレは勉強が嫌いだ。
おぉーい、いきなりこれかよ。突拍子も無くこんなことを堂々と言えるのはオレの知っている人間ではオレくらいしかいない。
今までの人生を勉強とともに辿って見ると:
小学校1年生。勉強を遊び的な感覚で学ぶ。だが宿題とかあったりする。初めて勉強というものにふれる。
この頃はまだ大声で叫びながら走っていても楽しかった頃。
小学校3年生。フランス語を学び始める。この頃から勉強が嫌いになる。
小学校4年生。九九の勉強(カナダはちょっと算数が遅れている)。算数を本格的に学び始める。
同時に初めてパブリック・スピーキングをやる(全校生徒の前で自分の興味を持つことを発表する)。
この頃から成績は中の上で、母親から「アンタはやればできるのに」とテストの後でいつも言われる。
そういう母の嘆きの意味が分からず、遊び呆けていた。
小学校6年生。成績は中の上。愚かにも「小学校が終わるからもう勉強しないで済む」、と思っていた。中学に入って愕然とする。
中学に入って「フランス語集中コース」なるものに入り、英語、体育、音楽、家庭科の授業以外は全てフランス語で行う。
(社会、歴史、保険、数学、理科)。この頃はもう放課後が待ち遠しくてたまらなかった。宿題もほとんどせず、テストも一夜漬けで済ませる。
この頃の成績もやはり中の上。得意科目と苦手科目がはっきりと分かれる。母の嘆き、強まる。
世渡り上手な性格が災いし、適当に中学を卒業する。高校でも勉強は続けなきゃいけないんだな、と妥協しながら新学期を待つ。
パソコンはこの頃使い始める。「アンタはやればできるのに」と百回言われたら爆発する爆弾を頭に入れられていたら、3ヶ月で爆死していたであろう。
高校に入るといよいよ怠け者の本性が出てきて、宿題はもはや授業の数時間前とかに終わらせることが多くなる。
数学にいたっては指されたら頭の中で問題を解きながら黒板に書く。テレビを見ながら試験勉強することもしばしば。音楽の授業だけは真面目にやる。
母の嘆きはこの頃おそらく頂点に達していたであろう。父は「大学に入れば勉強は専門的になるから大丈夫でないの」と無責任なことを言ってたらしい。
どうやらオレは複数のことができないらしい。不器用なのは損だ。
高校を卒業する。この時もクセである一夜漬けは抜けず。一夜漬けばかりしていたので半分本気で漬物屋を目指す。
この時の苦い思い出は後に専門となる物理の期末テストの成績が高校3年間の中で最低点の期末テストであったこと(マジで)。
いうまでもなく、この頃も勉強は嫌いだった。試験期間になると睡眠時間が増えてたりしてた。
大学に入学。カナダの場合、大学は高校の成績で決まる。入り口が広く出口が狭い。
休みボケでしばらくは勉強できず。物理だけクラスで最高点を取っていたりする。
この頃から一夜漬けではやっていけないことを悟る。
大学2年生。高校時代には歯が立たなかった奴に物理と数学で大差を果たす。この頃からちょっと天狗になる。専門も物理に決める。
生物は実は化学であり、化学は実は物理であり、物理は実は数学であることを知る。これは本当。
大学3年生。より専門的なことをやるようになり、実験というものに興味を持つ。バイトは助教授のお手伝い。この頃からまた勉強をしなくなり、実験に手を染める。
大学4年生。卒論も実験系であったために、勉強はほとんどせず。そのまま現在にいたる。
こうやって見てみるとオレは真面目に勉強したのは大学2年生の時のみ、ということになる。
オレの場合、学校では授業よりも他のところで色々学んだと言える(詳細はご勘弁を)。
だけど何かを学ぶのと勉強するのはやはり違う。勉強は学校に行ってる時にしかしないけど、学ぶことは死ぬまでできる。この差はデカイんじゃん?
だからオレは勉強は嫌いだけど色々学んだ。最近の「ゆとり教育」とかはもっとそういうところを見るべきじゃないかな。
学力低下を懸念している親が多いらしいが「学力」ってそもそも何しょう。
成績がいいからといって頭がいいというわけでもないと思う。逆に成績が良くても無知な人間はいっぱいいるでしょう。
オレがこんなえらそうなことを言えないのは上記で明らかだろうけれど、試験の問題が出来てもその応用問題ができない子供が多いらしい。
1+1=2はできても「1個と2個のりんご合わせるといくつ?」という問題はできないらしい。
無論、このような簡単な足し算の問題ではないが(あくまでもわかりやすい例として)。
日本で中学生以下の子供は理系の知識は世界でトップだけど、これが二十歳以上の大人で最統計してみると日本人の大人の理系の知識は世界水準でいうと中の下になるらしい。
子供の頃にはもっとやることがあるんじゃないの?
鼻水たらしながら木を上ったりするのも大事だと思うけど。
そして最後に、勉強が嫌い≠勉強をしないなんだよ。