英語。

さて、今回のテーマは他ならぬ英語です。なぜ今更英語の話しをするの、とか言われそうですね。英語を勉強することは大事なことだから、少しでも話せるようにしろ、とでも言うんでしょ。
とんでもない。その逆といってもいいかもしれない。
オレが言うのもとてもおかしいけれども、日本語を満足に話せない日本人が中途半端に英語を習おうとしたら結果的に日本語も英語も出来なくなると思う。オレの経歴を少し明かすと、幼少時代(3歳)から20数年、カナダに住んでいる経験をもっています。当然ながら、日本語より英語の方が得意です。実際オレの書ける漢字は中学生レベルに近いと思う。(ワープロ無しの手書き)
そして小さい頃は家で日本語を話していた分、クラスメイト達と比べて英語に触れ合う時間が少ないために、その分国語(この場合は英語ね)の時間に頑張らなければいけなかったのを覚えている。このように語学力を維持したり伸ばしたりするのはとても大変だと言う事を実感しております。
去年から日本に住み始めたものの、この半年で自分でもわかるくらい日本語が上達したと思っております。逆に英語力は少々落ちているでしょうが。友達とかは日本人であり、オレと同じような境遇でありながら日本語をまったく話せない人も多数知っています。話せても明らかに『ガイジンの日本語』のように聞こえてしまう人とか、オレと同じようにちょっと話していてもわからなくてもいずれボロが出て来るうような人もいます。しかし、みんな共通しているのは例え少しくらい日本語が完璧でなくても、日本に誇りを持ち、一応母国語である日本語に対して誇りをもっている。
そもそもなぜ英語がこんなに使われているかというと、おそらく19世紀の英国の産業革命と第二次世界大戦後のアメリカの影響が強いと思う。特に幕末ではこの二カ国がとても強い力を持っていたと思う。しかし英語自体は言語としてとても不完全な言語である。そもそもラテン語やノルウェー語などの寄せ集めの言語なのだ。文法に対して例外が数多く存在するし、その例外の例外というのも少なくない。留学をするなら本場のアメリカかイギリスにするように進められているらしいが、寄せ集めの言語に母国も何もないのではないか・・・と思う時もある。しかし英語が主流である国である事には変わりないのでしょうがないかな。
話しを戻すと、日本では『国際人になるためには英語を身に付けろ』みたいな意識が強いのではなかろうか。電車や街中でも数々の英語学校の広告があります。国までもが学費の援助をしてくれるというのだから日本国までもが相当力を入れているみたいだ。そのおかげか、日常的な英語を話せる日本人が多くなってきたことでしょう。努力して英語力を高めるのは悪いことではないが、そこから勘違いも多く生まれてくるものだと思う。まず、街中で白人に出会ったらまず『ハロー』と言うのはおかしい。確かに今は世界的に英語が主流だけれども、白人だからといって『ハロー』はないでしょう。
逆にとても失礼だと思う。一番いい例えはその白人がもしフランス人であったらどうするの、ということ。イタリア、ドイツなどでは英語は通じるらしいが、スペイン、フランスなどでは英語で質問をしても答えてくれません。フランスとスペインは特に歴史的に英国と戦争をしていたのだから、それもあたりまえだと思う。
そのようなフランス人にいきなりハローと言うなんて失礼極まりない行為でしょう。黒人に対してまずスワヒリ語の『ジャンボ』とか『ヒーニ・ニーニ』で挨拶をしますか?それこそアメリカから来た黒人の方だったらすごく不快に感じると思いますよ、その人は。
自分自身に立場を置き換えてみてください。アメリカに行くとします。そして自分が世界の人口の何分の1かをしめる中国の人間と限定されたらどんな気分でしょう?街で道に迷って困っていると横から白人が『ニイハオ』とか言ってきたらどうします?英語で道を聞いているのに『ニイハオ』とか言われたり。気分が良いとは言えないでしょう。
(実際、20年程前のアメリカでは東洋人=中国人という偏見があり、幼少時代は英語がペラペラでも東洋人であるから第一印象は中国人と思われたものだ)
このように日本では英語に対して(良くも悪くも)少し歪んだ印象をもっていると思う。とにかくオレは道端で白人らしき人が困っているようだったらまず日本語で『どうしましたか?』みたいな日本語で接するようにしている。日本にいるからには日本語の勉強をしてる(またはしたい)人がほとんどなので、日本語で応対するほうが親切だとも言いかねない。そこで少し話せば相手がどこの国からの人かわかってくる。たいていの場合は相手の方が一生懸命日本語で話してくるので終始日本語で会話するようにする。しかしその人がどうしても日本語でなくて英語で話さなければいけない場合もあり、その時は去り際に『I hope we can speak in Japanese the next time we cross paths』
(『次回は日本語で会話が出来ることを期待してますよ』)と冗談交じりに言ったことがある。
これが正しい接し方だとは言わないが、少なくともイキナリ『はろー』というよりはいいと思う。実際にフランス語も一度使ったことがある。
英語が国際語であっても、英語を出来る人を『国際人』と呼ぶべきではないのかもしれない。
本当の『国際人』としてのありかたとは、言語力よりも日常生活態度や心構えの方が重要な気がする。

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