浦島太郎と相対性理論。

浦島太郎。いじめられていた子亀を助けたら、親亀がお礼にと竜宮城に連れて行った。そこで限りない贅沢をし、そして3年後、元の場所に戻ってみると3年ではなく、300年たっていて、玉手箱を開けるとおじいさんになってしまった。
簡単にはこういう話だろう。というより、ここまで説明しなくても有名な話だろう。
オレの推測:浦島太郎の物語は実際あった話なのではないのか。なぜならば、近代物理学を用いるととても簡単に説明ができるからだ。
アインシュタインの相対性理論の発端は、光の速さについての矛盾である。ガリレオによると50キロの速さで走っている電車の中で10キロの速さで走れば、電車に乗っていない外部の人間から見れば総合で電車の中の人間は60キロの速さで走っていることとなる。しかし、この電車が光の速さで動いていたらどうなるか。
電車の中の人間が10キロの速さで走っていたら、ガリレオの理論によると外部から見た場合、走っている人間は光の速さを超えてしまうことになる。もちろんこれはありえない。電車の中の人間が10キロの速さで走っていても、外界の人間にはやっぱり人間も光の速さで動いているように見えねばならないのだ。相対性理論を簡単に説明すると、光の速さで物体が進んでいると考えた時、それに伴いその物体が感じる距離と時間の感覚が違うというもの。時間についてだけ考えると、光の速さで動いている物体はまわりと比べて時間の流れが遅い。つまりまわりの方に時間が早く流れるというもの。これはどういうことかというと光に近い速さで動いているものにとっての1秒が周りにしてみれば数百秒だったりすること。もっと複雑な数式や理論などがあったりするのだが、上記の部分を踏まえておく。
これで浦島太郎に出てくる親亀に着目してみよう。竜宮城とはどこなのか。海の底の楽園として描かれているが、実際ではどこでもよくなかろうか。いや、亀だという先入観があるから海だと思ってしまうのだ。これが宇宙の話で、亀が宇宙船だったらどうか。光に近い速さで地球から「竜宮城」という星、またはスペースステーションに行ったとしよう。その際に相対性理論により地球と時間のズレが150年生じてしまった。同様に帰った時に150年。滞在期間と足し合わせると約300年になる。150年もたっていながらお姫様が事を覚えていたのは長命だからかもしれないし、玉手箱は帰っていたらこういうことになるとわかっての情けだったのかもしれない。
このように日本に限らず昔話というのはある程度は事実に基づいていると思う。昔話の赤鬼とかはスコットランドやアリルランド系の人達だったかもしれない。事実どうだったかはタイムマシンでも作らない限りはわからないだろうが。

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